あ、筋肉痛、治った。


***


今年のユーコンの秋景色は、3秒に1回ため息が出るほど完璧で、10分ごとに色が深みを増していくようなその紅葉を、見逃してはなるまいと、瞬きもせず、食い入るように見つめていた。


と同時に、どうしても押しまくってしまう、たくさんのシャッター。そして今、手元にある、意味なくたくさんの写真。



grizzly lake


違う違う違う~。

こんな間の抜けた景色じゃないのよ、私が見てきたのはー。


と、まあ、北の大地を撮影する度にがっかりし、やっぱりあの景色は、カメラに収まることはないんだな、と思っていたら、


同じ時期に同じ場所にいた、この人は、きっちりと、収めてきているじゃないか。



tanikado-san
(▲ 「オーロラの降る街 」 より)



そうかい、カメラじゃなくて、私の腕かい。問題は。


この写真を撮っているのは、ユーコンに住む、谷角靖さん2年前、最初に会ったときは 、「これ、僕の家です」と、キャンピングカーで現れたのが懐かしい。


その後、ホワイトホースや東京で会うたびに、「写真展することになったよ。」「2冊目の写真集出すんだ。」「カナダの永住権取れたよ。」「日本写真家協会の会員として認められた。」、と、必ず人生ステップアップしてやってくる。常に冷静沈着・無駄なく戦略的な、この男。


日本に一時帰国しているのを幸いに、先日、また会った。で、お茶をしながら、「写真もっとうまくなりたいんだよねぇ」と愚痴をこぼしていたら、


「じゃ、一緒に撮りに行く?教えてあげるよ」


と。えー、嬉しい。うんうん。ツウなユーコンの話なんかしながら、箱根、歩くの、いいね。見よう見まねでやってないで、プロから盗める技術はいただいておこう。



というわけで、(多分)紅葉美しい箱根の11月を対象に、写真のワークショップ、やることに、しました。写真始めたばかりの方、谷角ファン、ユーコン・アラスカの北の大地好き、な方々の、ご参加、先着10名で、お待ちしております。



もっと写真が好きになるワークショップ


<第一回: 机上準備編・・・自分のカメラを知ろう編>

日時: 11月2日(金) 19:30~21:00頃まで
場所: 都内にて


<第二回: 本番・・・秋の箱根ハイキングを切り取ろう >

日時: 11月11日(日)  10:10 ~16:00頃 
場所: 箱根


講師:  谷角 靖さん (日本写真家協会会員)

詳細&お申し込みは こちら






奥歯が痛い。

また虫歯か親知らずか、と、憂鬱な気分で歯医者にいった。


「虫歯じゃないですよ。力いれて噛みしめすぎです。気合いいれすぎじゃないですか」


・・・ふーむ。気合い?


***


さて、NOLS話まだ続く。



katy


Day17、7月18日は、Katy、24歳の誕生日。でも、この夜、こうやって、誕生祝いをするまでには、大変な1日が待っていた。こんな誕生日、一生忘れないってくらいの、大変な。




今日もまた、12キロを歩かねばならない。しかも、ルートは峡谷沿いだ。何回、徒渉が待っているのだろう、と思うと、憂鬱になる。


そう、川を渡る、というのは、楽しそうにみえて、これが全然楽しくない。アラスカの、氷河から始まる川の流れは冷たく速いので、一番気を使う箇所なのだ。まずは荷物を下ろして、一番易しく渡れそうな場所を、徹底的にスカウト(下見)する。時には、下流に1時間、上流に1時間歩くこともあるくらいに、徹底して。そしてようやく決まった、比較的安全そうなその場所も、いざ渡るときには、バックパックのベルトを外し、3人一組になって、ゆっくりゆっくり渡る。もちろん、靴は履いたまま。


時間はかかるし、気は使うし、靴のなかはびしょ濡れになって気持ち悪いし、いいことなんて全然ない。



rivercross



というわけで、朝から憂鬱になっているうえに、昨日から降り続いている雨で、服は全部湿っているし、荷物は水分含んで重たいし、もう、前回の休息日から数日経っていて、みんな、疲れもピークに達していた日だった。



そんな日にこそ、悪いことは重なる。


ようやく何本目かの川を渡り終えたその時、メンバーの一人が、バックパックの横につけていた熊スプレーを誤発射した。プシューーーーーーーーーーーー、と、嫌な音が、川の流れの音より一段高く響き渡り、あたりは刺激臭に包まれる。


逃げろっ!


熊撃退スプレーは、アラスカを旅するときは、手放してはならないお守りのような存在だ。が、唐辛子を原料とする刺激物が入っており、命には別状ないが、相当に強い匂いと、刺激があたりに充満し、目はシバシバ、喉は痛いと、人間にとっても楽しいスプレーではない。


匂いが収まるのを待って、スプレーを被ってしまった服やバックパックやらは、手分けして、川の水で全部洗う。発射してしまった彼は、すっかり意気消沈し、みんなも、ショックで、だんまりになる。


その後も、何度か道を間違えながら、夜7時、疲れ果てて、その日のキャンプ場へ到着した。


と、その瞬間、風が吹いてきて、雷が鳴り始め、そして、雨でなく、雹が降ってきた。バチバチと、パチンコ玉の大きさもあろうかという、雹が。


落雷を除けるためバックパックの上に乗り、その、不安定な30センチX80センチ四方の荷物の上で、かがみ込むように俯せになって、その雹が通り過ぎるのを待つしかなかった。


安全で快適な屋根の下に入りたい、と思ったって、周りには何もない。どんなに疲れ果てていても、自然は笑っちゃうくらいシビアに、容赦なく、疲れた体に雹を叩きつけてくる。何ができるわけでもなく、ただただ、バックパックの上で小さくなっているしかないのだ。


目の前で縮こまって雹に打たれている、誕生日ガールのKatyを見ながら、自然のあんまりの無慈悲な仕打ちと、人間の小ささに、笑うしかなかった。パチパチと雹にあたりながら、人間の、小ささと無力さに、何故か感動していた。


その雹は、結局30分降り続き、そして、雨雲は、また足早に去っていった。





rainbow


厳しい嵐もあるけど、だからこそ、見える虹がある。



疲れ果てた1日だったのに、散々だったね、と慰めた誕生日だったはずなのに。何故か今は、ニヤニヤしながら思い出す。味わおうと思ったってなかなか味わえない、相当、素敵な誕生日だったんじゃないか、と思うのだ。


あのケーキも、あの虹も、

そして、みんなからのハッピーバースディ、の歌も。





hasetsune


17時間34分かかってゴールした。


17時間34分もあったら、成田から、アメリカ乗り継いで、カリブか南米の都市まで辿り着けるんじゃないか、ってくらい、冷静に考えると長すぎる時間だ。


長すぎるその時間、眠くなりながら、何でこんなことしてるんだろうとイヤになりながら、自分の心と対話しながら、本当のゴールは遠すぎるので1時間先の小ゴールを決めながら、終わったらご褒美に何を食べようかと考えながら、だんだん考える気力もなくなって無心になりながら、そして最後は闘争心に火をつけながら、


歩いて、走りつづけた。


得たものは、達成感と、それ以上に人生過去最大の筋肉痛、か。




日本山岳耐久レース

奥多摩の山々・・・全行程71.5キロ、標高差4832mのコースを、24時間以内にゴールする。途中、補給できるのは、42キロ地点での1.5Lの水だけなので、上着やら食糧やらと必要なものは、全部背負っていかなければならない。


本気のレーサーたちは、これを8時間台で走ってしまうけれど(あんなアップダウン続く山道を、時速9キロだなんて、いまだ信じられないけれど!)、24時間、という時間設定にすれば、私でもできなくはない、はず・・・、と思い続けて2年間、ようやく、実現するにいたった、今年。


最初は、無事にゴールすることが目標だったはずなのに、(装備と荷物の重量は、「歩いて」「24時間」という前提で成り立っているのに)


歩いているうちに、いつのまにか、周囲の鼻息の荒さと殺気だった雰囲気に飲み込まれ、もともと点きやすい闘争心に火が点いてしまい、


調子にのって、予定以上に走ってしまった。


結果、予定より早い時間でゴールはできたものの、すぐに人生過去最大の筋肉痛がやってきた。もともと痛めていた右膝もギーギーと痛い。今日なんて、2階にある自宅に行くのも、エレベーター利用する始末だ。こんな無茶をしていたら、体壊してしまう。


走るなら走るで、もっと体つくらないと!



不思議なのだが、2年前に思った、「自分が71キロも歩き続けられるのか」というゴールは、今となっては、「まあ、できるだろう」というレベルになっていた。今回の結果は、満足で、不満足。挫けそうになる辛さに打ち勝って、ゴールを踏めたことはよかったが、もう少し対策を練れば、もう少しいいタイムが出せたはず。目標設定を間違えた。現時点での自分と目指すゴールに、ズレがあった。


***


でも、レースは嫌い。

私が自然のなかに入る理由は、競争心じゃない。


今回、


三国峠で出会った、霧が立ちこめる林のなか、黄金色の夕陽がつくりだした輝く木漏れ日に溢れた瞬間や、


月夜見山近辺で、林が切れた瞬間に現れた、東京なのに降ってくるほどの星空や、


大岳山頂から見えた、夜中3時過ぎなのに消えていない東京の夜景や、


日の出山の、朝日が昇る30分前の、濃紺からオレンジ色に変わりゆく地平線の様や、


こんなレースでもなきゃありえない時間帯・・・、明け方、朝日に向かって山を走る朝一番の空気の爽快さや、


そういったことを、もっともっと味わいたいのに、肉体的にも精神的にも厳しい状況では、なかなか浸りきれない。見逃すには、あまりにも、もったいない瞬間と景色が、何度も訪れた。


***


もしかしたら魔が差して、来年も出たくなって、この日記を見返しているであろう自分へのメモ。


水は合計4Lでいい。

固形物は喉を通らない。

荷物はもっと軽く。

ライトはもっと明るく。

71キロ(特に三頭山と大岳山の登り)は相当に大変だ、もう二度とやらないって心に誓ったこと、ちゃんと思い出して!








あーん、雨女!

この間までは、週末まで晴れの天気予報だったのに。


チャレンジ2007シリーズ第三弾は、明日からの、ハセツネ・・・日本山岳耐久レース 参加。あと16時間したら、歩き(・・・たまに走り)はじめます。71.5キロ。24時間。


時間切れにならずゴールを踏むこと、せっかくなので、夜のピクニックを楽しむことが目標か。



今日は早く寝よう。




fire by glacier


「え、焚き火したくない!?何をバカなこと言ってるんだ。キャンプといえば焚き火と酒に決まっているだろう」と、鼻で笑う友に、軟弱エコ・キャンパーは、反撃する術を知らず。


あんな 質素な焚き火をした2週間後には、NOLSの教えも空しく、こんな豪快な火をつくってしまったよ。


でも、氷河ひとりじめだったこの夜 は、アラスカにきて一番の、本当に美しい焚き火だったのだ。


***


まあ、何事も、バランス、ということなのだ。


何を食べているのかすべて分かっていた2ヶ月、モヤシ男とすごした1週間 を経て、玄米ってどうなの?マクロビオティックって何?乾物使った料理?和食が一番?ビーガン?と、エコでベジタリアンまっしぐら道に興味ありつつも、


そんな世界と関係ない友達と行く居酒屋の料理は、それが、肉であれ、中国産の野菜であれ、そんなこと関係なく美味しいよね、って、ふうに。


やわらかく、生きていこう。




firepit2

「風呂は入れないけどさ、キャンプの後は、焚き火のスモーキーな匂いが服について、それがまたいいんじゃない?」


と、前回の記事を読んだ方から、メールをいただいた。


「キャンプ」という言葉から、連想ゲームをしたら、


1.焚き火

2.飯盒炊さん

3.酒


が、ベストスリーだろう。


うんうん、キャンプといえば、焚き火だよね。マシュマロを枝に刺して焼いて、ボテっと落として、あら、がっかり、だよね。


***


ところが、NOLSは、エコでヒッピーな学校だ。そんな、環境にダメージの大きいことは、残念なことに、そう簡単には、許してくれない。



NOLSで徹底的に教えられることのひとつが、「Leave No Trace  (LNT)なキャンプ方法」。なるべくなるべく、自然に負担かけないやり方でキャンプをしていく。


LNTには、7つの基本の掟があるのだが、そのひとつが、「Minimize campfire impact」・・・キャンプファイアは最小限に!だ。不必要な焚き火は、土壌を痛め、景観を損ない、燃やさなくていい木を使ってしまうことになる。だから、焚き火はできるだけしない。料理はストーブで行い、火を熾さなくても寒くないよう、十分な上着を持って行く。


どうしても焚き火をしないといけない場合は、河原の砂地に、小さな穴を掘って、そこをファイアピットとする。使っていい木は、腕より小さな枯れた枝のみ。木は必ず燃やしきり、灰は、川にばらまく。次の人が来ても、そこで焚き火をしたとは気づかれないように、後片付けすること。余った枝は、もちろん元に「ばらまき」戻す!


そんなピリピリと厳しい決まりごとを教わったある日、たった1度だけ、焚き火のチャンスはやってきた。完璧な河原。砂地。教えられた通りに設置した、15人が囲むにしては、ちんまりすぎるくらい小さな焚き火を、全員で、わくわくしながらつくりあげた。そう、なんだかんだいっても、皆、焚き火は大好きだからね。そして、この貴重な火で、ケニーの、49回目の誕生日ケーキをつくった。


もちろん、ダッチオーブンなんて重たいものは持って行っていないが、それでも、ケーキは作れる。蓋の上に、小さな木切れを載せ、上から加熱すればいいのです。



firepit



firepit3


ろうそくを見つめるケニーは本当に嬉しそうで、小さい焚き火ではあったけれど、何だか、実際の火以上に、暖かく感じた夜だった。(写真は暗くないけど、すでに夜10時くらい。そう、アラスカの夏に闇はない。)




ケニーについて。


今回、参加者のなかでは一番年上で、いつも落ち着いていて、スペシャル・コーンブレッドを作るのが上手で、何かというと私の相談相手になってくれた、ケニー。ニューヨークで、たくさんの部下を持って金融の仕事をするビジネスマン。友達とアコンカグアに登ったこともあるくらいのベテラン・アウトドアマン。


そんな彼が、まだNOLSに参加するのは何でなんだろう。


「NOLSはね、15年ごとにきているんだ。ティーンの頃、30代、そして今回・・・。学ぶことはいつだって沢山ある。いくつになってもね。これを機に、地域の子供たちにキャンプを教えたいんだ。そうだ、今度は、息子に参加させようかな」


アラスカで、彼の節目の日を、一緒にお祝いできて、よかった。




whattobring


<1ヶ月に必要な服(着ているものも含めて)>


(下半身)

ソックス4ペア

雨具

ウインドパンツ

ポリプロ・長ズボン

ハイキング用短パン

下着1-2ペア


(上半身)

フリース

雨具

ウインドシャツ

ポリプロ・長袖シャツ

ポリプロ・半袖Tシャツ


(頭)

毛糸の帽子

ベースボール・キャップ

蚊除けネット


===


「これだけ?これだけですか? 着替えは?」


石ころ・トイレットペーパー問題に加え、出発前に不安だったもう一つの大きな要素は、「着替えない」(風呂に入らない)だった。風呂がない旅は初めてじゃあないが、いくらなんでも1ヶ月っていうのは、風呂好きの日本人として、女として・・・いやいや、文化的人間として、どうなんだろう?


出発前、去年参加したヨシ姉 に聞くと、

「大丈夫よー。そんな小さなことは、どうでもよくなってくるから」

と、答えにならない答え。


出発当日、インストラクターに聞くと、

「僕はねぇ、ソックスは、4ペアじゃなくて3ペアでいいと思うんだよね。人は知らないけれど、僕の場合は、一回も着替えないよ。面倒だから」

と、さらに荷物を減らされそうな答え。


全然参考にならない二人の回答で、さらに不安が増したため、石鹸は(自然への負荷が大きいので)使わないにしても、せめて川で洗濯しよう、と、こっそり、肌につく服・下着は、1ペアずつ予備を持っていった。


数百グラムの重さの負担より、清潔を取るぞ、私は。



***


1ヶ月後の結論。

洗濯も、予備の服もいらないな。


***


フロントカントリーの常識は、バックカントリーでは非常識だ。


フロントカントリーの余韻が残る・・・つまり、シャンプーと石鹸の匂いが、まだ体と服に残る、出発3日目までは、まだ、風呂に入れないことは、不快きわまりなかった。


が、日々、シャンプーの香りがなくなり、(たぶん)野生の匂いに戻るのと比例して、食べることと歩くことと寝ることで、ほぼ頭のなかは精一杯になってくると、不思議と、「きれいだ、きれいじゃない」という観点は、どうでもよくなってくる。


それよりも、今日1日、快適に生きていくためには、服が、「きれいか」じゃなくて、「乾いているか」の方が、よっぽど重要だった。


休息日に、洗濯する機会は何度かあった。が、川でピシャピシャ洗っても、石鹸が使えない以上、汚れに汚れた服が、元通りになる訳でもなく、ただの気休めにすぎない気がした。それよりも、服を濡らしてしまって、翌日までに「乾かない」状態になる方が、ずっと嫌だった。


アラスカの天気は、1日に30回くらい変わる。今、太陽がギラギラと照っていて夏のビーチのようでも、10分後には、雷雨がやってきて、寒々しく風が吹きまくる場所なのだ。そんな気まぐれな太陽を信じて、みすみす、この乾いた服を濡らすなんて、大馬鹿ものだ。


濡れた服というものは、第一に不快だし、体温がどんどん奪われて寒くなり、危険だ。


日中、川を渡って濡らした靴と靴下、雨の中を歩いて湿った服を、翌日までに、どう乾かすか、が、毎日の重要な課題だった。気まぐれな太陽に、少しでも当ててみる。夜、テントの中に干す。寝袋とマットの間に入れ、体温を使う。そうか、一番の乾燥機は、体温か。それならば、少し不快ではあっても、それを着て寝てみる。毎晩、毎晩、トライ&エラーの繰り返しで、私も皆も、「ドライ道」への階段を上がっていった。



そうして、「着替えない」生活を受け入れると、不思議なことに、蚊が、やってこなくなる。3日目まで、清潔が気になる頃までは、蚊除けネットと虫除けスプレーは、必須だったはずなのに。いつのまにか、使わなくなっていた。蚊がいないわけではないので、蚊に慣れたという以上に、多分・・・、寄ってこなくなったのだ。最初ほどには。


シャンプー、石鹸、歯磨き・・・、匂いのつくものは、クマを魅了してしまうため、テント内に入れないというのは、アラスカキャンプの基本だが。蚊も、人工の匂いが好きなのかなー。



そんなこんなで、野生の匂いに戻っていたであろう1ヶ月間の後遺症は、今、東京の人混みに混じると、くさくて我慢できない。電車のなか、エレベータのなか、全部(人工の匂いで)くさい。そして、自分自身も、パフュームが、つけられなくなってしまった。香水好きだったはずなのになー。何でだろう。


***

あんまり、こんなこと書くと、引かれてしまうので、最後に、女性らしい部分も加えておこう。


風呂には、入った。

最高に、気持ちのよい、水風呂へ。


少しだけ太陽が顔をだしていた休息日、女性全員、すっぽんぽん、全裸になって、推定水温10度以下の川に飛び込んだ。(残念ながら写真ないなー)。心臓止まりそうに、気持ちよかった。


そして、歩いている途中、小川を見つけると、水に頭をつっこんで、頭を洗ったっけ。



wash!




そうそう。

バックパッキングの旅のハイライトは、旅を終え、ひっさびさのシャワーを浴びることにこそ、あると思う。


1ヶ月ぶりの温水シャワー、シャンプー、泡立つ石鹸。

あれほど気持ちの良い瞬間は、他に、知らない。




reading


日中がどんなにハードな1日でも、


1日の終わりには、リーディングの時間があって、


ようやく沈みかけた太陽の光を浴びながら、自然賛歌の詩を聴くと、


ああ、やっぱり、アラスカまでやって来て、この荷物担いできてよかったな、と思いながら眠りにつけるのだった。




Learn strength from rocks and wisdom from pines;


the wind can teach you many songs, the starlight sky can be your dreams, the rushing river can be your lullaby.


There is so much to learn and we use our time so quickly. Stand alone and quiet for a moment- until it becomes day.


Seek to listen and to hear; strive to watch and to see.


Wait for wisdom, remember beauty. Feel always the joy of living.


-- Dean Kwansy






mapread


(地図読みの章、前回 よりの続き)



弱音を吐いた数日後、私はみごと復活し、メンバーとともに、「どこにいくかは自分で決める」この方式を楽しんでいた。(ははは、立ち直り早い。)


慣れてみれば、こんなに楽しいことはない。目の前全部が道なのだ。どこを通ったって、誰にも文句は言われない。間違った場所を通れば、苦労するのは自分だけれど。


「道がない」自由を知ってしまうと、地球が広がる。どこだって、地図さえきちんと読めれば、私は迷わず進めるのだ。アラスカには、道路と呼べるものはほんの数本しかないけれど、そこから先にだって、私は、どこにだって、進んでいけるじゃん。すごい!


と、我々が自信を深めていくのと反比例するように、最初は先頭に立っていたインストラクターは、徐々に存在感を消していった。10日も経つと、生徒とは同行せず、先に出発してしまう。(もちろん、そのための危機管理は、イヤというほどに行っているけれど。この話は長いので、ここでは省略)


代わりに、生徒が交代で、その日のリーダー、LOD(Leader Of the Day・表の呼び方)(Loser of the Day・裏での呼び方。)となって、みんなを取りまとめる。その日一緒となったメンバー4人で、知恵を出し合い、一番歩きやすくて、迷わなさそうで、遠回りにならなそうな行路を決めていく。



そう、山歩き超初心者の人が、10日後に、道なき場所を、自分でナビゲートできるようになっている。自分が地図読みに自信をもてたのは嬉しかったが、それよりも、超初心者を、短期間でここまで育て上げる、NOLSのプログラムのありかたに、舌を巻いた。


***


ところで。


「アラスカのツンドラを歩く」って、どんなイメージ?



tundra


広い大地を、ムースやカリブーを地平線に探しながら、わすれな草やブルーベリーを足下に、氷河を遠くの山に見て歩く、こんな桃源郷??




ブーーーーー。

 ブーーーーーー。


甘いね。


地球温暖化、恐るべし。

50年前にはツンドラ地帯だった(地図上では、ツンドラとなっている)この場所は、今は、こう。



schwack

背の高さ以上ある、ウイロー。藪。藪。藪。草むらと化していた。


ふっふっふ。現実は、厳しいのだ。道を開いていくというのは、この、どこにも進んでいけそうもない、密集した藪のなかへ、意を決して突撃していく、ということなのだ。せっかく新調した、patagoniaのウールのシャツが、枝にひっかかりすぎて、ボロボロになるほどに、厳しい道なのだ。


自由とは、イバラの道だ。

これは、何かの比喩じゃなくて、人生論を述べているわけではなくて、本当に、イバラなのだよ。



それでも何だか、この藪漕ぎ、ブッシュワッキングが嫌いじゃなかったのは、この憎らしい草むらが突如消え、



moose


こうやって、桃源郷が現れるから、なんだな。





maptalk



来週のレース に向けて、奥多摩通い続く。


奥多摩は、楽だなー。トレイルはきちんと整備されていて、道標も、至る所についている。目指す山の名前さえ知っていれば、地図いらないじゃん。


そう、今まで、私にとっての「山」というのは、すでに存在する、トレイルを歩くことだった。アラスカで、あれを経験するまでは。

***


コース2日目。


「では、今日は、5マイル先の、Yanert川と、モンタナ・クリークが合流している地点でキャンプしましょう。今日からは、生徒4人と、インストラクター1人の、5人1チームになります。3つのチームに分かれて、10分ずつ時間をおいて、各自で考えながら歩いてください。15人が一緒に歩かないのは、自然への負担が大きすぎるからと、チームとして大きすぎて、意見がまとまらなくなるからです。では、僕のグループが先にいきます。キャンプ場で待ってますね。」


と、インストラクターのロブは、にっこりと微笑んだ。昨日、道路から最初の2マイルは、「ハイキング道」が存在していたが、ここから先は、ただの川と崖と藪しかない。


最初のグループが出発して10分、次のグループが出発して10分、彼らが完全に姿を消すのを待って、私たち最後のグループも、出発だ。


出発だ、といっても、何しろ道がない。ええっと、どこに?私たちはどっちに進むの?と、訝しがる我々生徒たちに、インストラクター・クリスチャンは、おもむろに、USGS (United States geological Survey)の地図を取り出す。


「等高線って知ってる?この地図は、100FTごとに線が引いてある。この、線が込んでいるところが、崖ね。これがリッジ(尾根)で、こう、▽になっている部分が谷でしょ。この形がサドル。ここがピーク。このピークは、実際にはどの山か分かる?」


と、マップリーディングが実践で始まる。生徒は、地図と、目の前の地形を照らし合わせながら、彼女の説明に必死についていく。


「今日のX(エックス)にいくためには、川沿いに進むのが一番いいよね。右岸?左岸?どっちをいく? 徒渉(川を渡ること)はイヤだから、このまま右岸を行きたい? でも、ほら、このままいくと、すぐに崖でしょ。ちょっと、荷物をおいて、スカウト(下見)しに行くのもいいかもしれない」


基本的に、インストラクターは、答えを言わない。地図を見て、ヒントを出し、生徒たちに考えさせ、何故その選択をしたか、理由を聞く。それが、危険すぎない場合は、遠回りであっても、ちょっと面倒くさいルートであっても、生徒の意見を尊重して、そのまま進む。


が、一方の生徒側は、ほぼ初心者だ。多少の山歩き経験がある私だって、そこまで地図読みに長けているわけではない。(だって普通は、トレイルを歩いているんだから!)一緒のメンバーには、「出発3日前に靴を買いました。キャンプはじめてなの~」という、都会っ子お嬢様もいる。


そんな我々が、このアラスカの巨大な原野にほっぽり出され、地図を渡されたからといって、最短のルートを選べるわけはなく、こっちに進んでは引き返し、あっちに進んでは引き返し、と、案の定、道歩きは難航する。


時に現れる、「トレイルらしきもの」は、ムースやグリズリーがつけたゲームトレイルで、これらは、必ず、水場へと導かれる。とはいえ、原野初日の我々がそれを理解できるはずもなく、歩くのに100倍ラクチンなこのトレイルを選んでは、Xから遠ざかっていく。




bushwack


ああ、慣れない110L・30キロのバックパックが重い。


雨が降ってきて寒い。


今日のお昼ご飯は、とっくの昔に食べ尽くした。


背の高さもある藪をかき分け歩き続けるのに疲れてきた。


ケリーが、履き慣れない靴で足が痛いと唸っている。


が、歩いても歩いても、景色は全然変わらない。


アラスカの夏は夜がこないから暗くはならないけれど、私たち、そういえば、朝から、ちょっと歩きすぎじゃない?と、時計を見ると、すでに夜8時。10時間以上歩いている。


5人の他、周囲には、誰もいない。何もない。


Xは、辿り着かないといけない、そのXは、いったい、どこなんだろう?


冷たい雨粒が、心細さを呼び起こす。


「あと3つ、小川を渡ったところがゴールっていうけれど、もしその川が枯れていて、見逃したとしたら?私たちがここだと思っている今の場所は、絶対に合っている?」と、最年長48歳の、ケニーが静かにインストラクターに質問する。


「絶対とはいえなけえど、私が地図を読む限り、今いるのは、このあたり。あと1マイルもないから、1時間も歩けばつくはずよ。万が一遭難した場合?大丈夫。私たちは、ちゃんと、テントと、フライと、燃料を、この5人の誰かが持っていることを確認したでしょう?もし、明日の昼12時までに、Xに行かなかった場合は、他のグループが、私たちを探しに来るから。さあ、5分休んで、行きましょう」



翌日の昼12時・・・!?思わず顔を見合わせた。あと15時間もあるじゃん!全員が心の中で思ったはずだ。こんな、寒くて疲れてひもじくて心細い思いをするために、高いお金払ったんじゃない!。NOLS恐るべし。こんなの、ハードコアすぎじゃないか。


それでも、その場所にいつまでも座っているわけにはいかないので、マメのできて歩きにくそうなケリーの荷物を他の人で分担し、景気づけにディズニーメドレーを歌いながら、目指す(と信じている)方向へ、やけっぱちで歩きつづけた。




結局、インストラクターの意見は正しくて、きちんと1時間後に、待ち合わせXポイントへ到着。遠くにテントが見え、みんなの「ヤッホー」(の英語版)という声が聞こえたときは、心底ほっとして、涙がでてきた。


先に到着していた、テントメイトのエヴァンが、お茶をいれてくれる。すでに、美味しそうな、チーズトルティーヤを作って、食べずに待っていてくれた。温かいお茶と彼の気持ちに、疲れがゆるゆるとほどけていく。


夜10時、やっと1日の終わりだ。でも、これから毎日、道もない、こんなハードな山歩きが、ずっとずっと続くのかと思うと、2日目にして、早く家に帰って乾いた服で蚊に刺されずに寝たいよぅ、と、テントでひとり涙する、チキンな私なのだった・・・。



(地図読みの章、終わらなくなったので、つづく)