あの戒めと痛みを忘れないよう、この1年、血の色(赤い)ブレスレッドをずっと身につけてきたが、もう十分。これからは、グレーシャーブルー色の、ポジティブな思い出のブレスレッドにつけかえよう。
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アタックの2日前、メインガイドのChadは、夕食後にみんなを呼んで話はじめた。
今から登ろうとしている山は、危険な山であることを、ディズニーランドみたいに楽しいだけの場所じゃないってことを、等々と1時間もかけて、半分脅かしながら、語り出した。
今までの荷物持ってのアプローチの登山が、「軽々」できていないと、今から待ちかまえている、空気が薄くて傾斜もきつく、半日という時間に渡るアタックは厳しいこと、
今まで、僕たちのガイド仲間もこの山で命をなくしているし、お客さんも、過去、亡くなっているケースもあるという事実、
一番大切なことは、登頂することじゃなくて無事にベースキャンプに戻ること、
そのためには、30時間後のアタックまでに、体調を万全に整え、どうしてもこの山に登りたいんだという強い気持ちを持ち、精神を集中していってほしい、
もしくは、山は逃げないのだから、自分自身に素直になって、諦める勇気を持って欲しい、と。
さらに次の1時間、2ndガイドのChrisは、この冬、自分が遭難して100時間さまよった挙げ句、左手の薬指を凍傷でなくした話を、そのない指に時折目を落としつつ、人ごとのように冷静に語る。・・・映画なみに肝が冷えるストーリーを。
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この脅かし説得工作により、9人中2名が、リタイアした。一人は、自分の体力のなさに憤慨し、カメラを力任せに壊して、翌朝、山を下りていった。(でも、そのカメラをテントに置きっぱなしにしていったのは頂けない)。
もう一人は、膝が痛いから登頂は諦める、でも、このハイキャンプに残って、みんなを待つ、と、決意した。
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私は、といえば、体力も気持ちも精神も、30時間後が頂点になるように調整できそうだったので、心安らかにシュラフに潜り込む。
リスクは、上手にハンドリングできるなら、という前提があれば、それはチャンスと同義語なのだ。それは、骨折が私に教えてくれたこと。
逆にいうと、決して自分の内なる声に逆らってはいけない。自分の限界を知り、素直になること。だから、ガイドの大げさに聞こえる話にも、大金と休みをとって、ギリギリのところで登頂を止める決断した二人にも、拍手をおくりたい。
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全然オチのない、真面目な話は、次号につづく。