moose



今回のアラスカでは、1ヶ月近く、人間じゃなくて熊の住む場所にいたのだが、


一度も熊には出会わなかった。


・・・というのも、常に、出会わないように気をつけて、旅をしていたからだ。ベアスプレー、ベアコール、キャンプの場所選定、キッチンの場所、常時4人以上のグループ行動・・・。


熊と人間のお互いが不幸にならないために、大げさなまでに厳しく、私たち生徒は、熊を近づけないような行動をするよう、求め続けられた。常時4人以上のグループ、ってことは、トイレに行くときも、プライバシーはないのだ!そのくらい、笑っちゃうほどに、厳しく。



という理由で、熊には出会わなかった。

人はそれを聞くと「残念だったね」と言うのだが、それは違う。姿はなくとも、歩きながら、野生動物の気配は、常に濃厚に感じていた。


まだ湯気のたつ糞や、足跡や、水場に続くゲームトラックや、囓られた木の枝や、無造作に転がっている骨や。出会わなくても、確かに、すぐそばに、彼らはいたし、その存在感だけで、私には十分だった。



そして、不思議なことに、今まで、デナリやヘインズやカトマイで間近にみた熊たちとの記憶より、より深く、野生動物の存在を感じたのは今回だったのだ。出会っていないのにも関わらず!



forget me not

***


トレッキングを始めて10日目頃だったか。


この日も、背の高さほどもある藪と、悪戦苦闘していた。ブッシュワッキング・・・「藪こぎ」続けること5時間(←トレイルなんて存在しない場所にいるので、草むらでも森でも、木々をなぎ倒しながら真っ直ぐ進むしか術はない・・・)、小雨も降ってきて、いつまでも終わらぬ藪に、いい加減、辟易しはじめたその時、ふと、藪がとぎれ、小さな草むらに出た。


草むらにひっそりと眠っている、真っ白なムースの角と、寄り添うように咲く、雨に濡れた鮮やかな青色のわすれな草の、この光景は、


何分とか何時間とか何日とか、じゃない、

もっと壮大な時間の流れを感じさせる、不思議な空間だった。



切り傷つくり、服を破り、全身濡れながら、泣きたくなるような藪道を10日も歩き続けたのは、この光景に出会うためだったのか、と思わせるような、圧倒的な何かがあり、


あああああ、この広大な大地のなかで、ここに辿り着けた奇跡のような偶然よ、ありがとううううううう、と思いながら、シャッターを切った、その写真たちが、これ。