実家から略奪してきた高級ワインをぐびぐび飲みながら、揺り椅子に座り、ページを繰り進める夜。あ~幸せ。


今年に入って、あんまり自分のことばを紡いでいない・・・、が、しかたない。冬の夜長読書キャンペーンで出会う珠玉の本たちは、私よりずっといろんなものを見てきた人たちの、奥深い言葉だ。私がまだドアのノブをまわして、恐る恐る見ている先の世界を、もう知っている人たちだから。今日の本の著者は、私とは同年代。だからこそ、のことば。


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「われわれは、「大自然」という言葉をいみを、自分が住むところとは違う場所という意味で使っている。そこに現代人の限界があらわれている。


「足を知る」と言われても、生まれたときから何もかも揃っていた僕らの世代は、いったいどこが「足りてる」基準なのかがわからない。少なくとも僕は毎日三食きちんと食べて、お風呂に入り、清潔な布団で眠るのがあたりまえの基準だと思っていた。・・・


だが、一日二食食べなくても、布団で眠らなくても、人間は死にはしない。山登りはそんなことを教えてくれた。人間はそんなにか弱くない。あたりまえの基準だと思いこんでいたラインは「かなり快適」に生きるラインであって、ただ生きるラインはもっと違うところに引かれている。・・・


そういう意味で、登山はまだ大きな役割を持っている。地球のサイクルから離れた現代文明人に、もう一度、身体感覚を取り戻させ、地球規模の視点を与える役割である。人が自分を地球の小さな生命体として意識したとき、社会を見る目が変わってくる。・・・」


服部 文祥
サバイバル登山家

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この人の「登山」は、テント無しで1ヶ月山に籠もり、途中で取れる魚と山菜を食料にするような、ヘッドライトさえ拒否するような、ある種、究極の形の、「登山」ではあるけれど。


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一週間のテント生活に入る前の夜、いつも自分のベッドの上で後悔する。みすみすこの快適さを捨てなくても・・・、と。山好きの知人も言っていた。「僕が世界で一番好きな場所は、自分の布団の上だ」、って。


それなのに、わざわざ、山に入っていくのは、きっと、文明生活のなかで忘れている「感覚」を、「自分の小ささ」を、再認識しにいくためなんだ。