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▲ヌプチェ7861m。


朝、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだら、イモがでてきた。

焼き芋の食べかけ。
歯形つき。

何だこれ、って、びっくりして 漫画みたいに飛び跳ねた。

そういや、前日、いきなり夜10時から始まったスタッフ忘年会 後に、級長が焼き芋買ってた・・・
が、なぜ、私のポケットに?
酋長、入れたね?


***

ペルー・インカトレイルに挑戦する!と勢いよく出発したミヨコさんが帰ってきて、今日、体験談が届いた 。クスコでの突然親の歯痛で、インカトレイル出発前日、泣く泣く諦めたという。でも、そのかわりにリーダーが連れて行ってくれた山が素晴らしかったし、素晴らしいリーダーやメンバーに助けられた、という内容で・・・


***


彼女の話を読んでいて思い出した。
私の、ヒマラヤトレッキングの話が、中途半端なまま終わっている。
ちゃんと結末を書かなくちゃ。


結論からいうと、辿り着けなかったのだ。「エベレスト街道」の終点へ。


だいたい、2週間に及ぶトレッキングは、その場所に立ちたいからいくのだ、という5540mのエベレスト展望台カラパタールまで、あと一歩のところで辿りつけなかった。

カラパタール前日、ロブチェ(標高4900m)での夜、いきなりそいつはやってきた。それまで鎮痛剤で、何とかごまかしてきた私の高山病が、ここで爆発した。

昼間は、裏山に登って、ポーズつけて写真撮るほどに元気だったのに。

夕食前、ヤク糞ストーブに当たっていたら、鼻血がでてきたのを皮切りに、寒気がし、熱が出て、咳が止まらず、また鼻血が出て、食欲なんて勿論なくて、しまいには、ふらふらしてきた。ダイアモックス(高山病の薬)をかじって、さっさとベッドに入ったものの、眠れない。


重低音のロックのリズムが頭をかけぬける。(あ、鼓動か・・・)
小人が頭の中で金槌を振り回して暴れ回っている。
口を開けたら心臓が飛び出しそう。

このまま次の鼓動で爆発するかも。


朝になったら下に降りよう、と決めて目をつぶるが、眠れるものではなく、3分おきに、時計を見る。ああ、もうだめ・・・と、ベッドに起き上がり、肩で息をしていたら、隣に寝ていたオーストラリア人婦警ダニエルが、心配してガイドを呼びにいってくれた。夜中2時。


ガ「降りる?」
私「え、今?」
ガ「ここにいても良くならないから、降りた方がいい」


寝袋をしまうことさえ億劫なくらいに体力なかったけど、ここにいたら気が狂う・・・。究極の選択だ。酸素を求めて降りることに。


夜中2時20分。無理矢理詰め込んだリュックを、アシスタントガイドのヒンドラに持ってもらい、出発だ。


新月に近いため、月明かりなし。満天の星空。
氷点下たぶん10度以下。
足元は、丸い石がゴロゴロと川が凍っていて。(氷河のハジッコなので)。
LEDの心細いヘッドライトの明かりだけを頼りに、そろりそろり。


アシスタントガイドとポーターに助けられて、ふらふらと、高さからの逃避行が始まった。


インフルエンザなんかで、40度の熱がでているときに、ベッドから外にでようと思わないでしょ?というような状態で、立つのもやっとだった。でも、100万円出してヘリコプター、というわけにもいかず、従って、自分で歩くしか方法がない。体力ゼロでも、気力もないけど、最後の一本の糸が切れないように気持ちを奮い立たせながらの40㎞。


近くに見えるペリチェの町も、それは、他に何も対象物がないから近く見えるだけで、もうちょっと、と思いながら1時間歩いたり。ティンボチェまでの300mの登りが苦しくて苦しくて、のろのろヤクの群れに抜かされてよろけたり。


1日半後に、ナムチェバザールの町並みを目にしたときは、ガイドの前でワンワン泣いた・・・。


***


・・・という結末を読むと、「残念だったね」と思われるのだろうが。


残念は残念だが、元気に生きていることが一番!という選択で、今回の私には、他にチョイスがなかったのだから、そこまでがっかりはしていない。山は逃げない。またリベンジすればいいだけだ、と思う。カナダ人ボブが、「何にでも意味はあるんだよ」って繰り返し言ってくれたけど、今回、こんなハメになったからこそ、味わえたものが、ある。


ベタだけど、
  人の優しさ。


夜中、カタツムリみたいなスピードで山を下りているとき、水を飲みたい、と思った。でも、私の水筒は、リュックからホースの形で吸い口がでている、ハイドレーションという水筒だ。口径の小さいそのホースは、氷点下の気候でガッチリ凍ってしまい、水が飲めなかった。そしたら、一緒にいてくれた、ガイドのヒンドラは、ホースに息を吹きかけて、舐めて、ホース内の氷を溶かしてくれたんだ。一生懸命。


午前4時頃、4600mのドゥグラにある一軒だけのティーハウス。10分くらい扉を叩いて、家主をたたき起こしてくれたヒンドラ。真夜中にたたき起こされたのに、嫌な顔せずに、中にいれてくれ、暖炉をつけてくれ、ホットレモンを飲ませてくれたティーハウスの奥さん。


***


ナムチェの前に1泊したオルショーでは、一人で巡礼をつづける、石好きの日本人男性、バズーと出会った。すでにシーズンオフになったこの時期、広いティーハウスに泊まっているのは、私と彼だけ。


ソーラー電池でかすかに動く、5ワットくらいの薄暗い裸電球の下、私の逃避行と高山病の話、彼のジリから始めたエベレスト巡礼の話。ポツポツと、お互いに、2時間くらいしゃべった。


「カラパタールから見た景色は、神様の世界だよ。夕方、他の8000mの山が暗くなっても、エベレストはやっぱり一番高いから、エベレストだけが、夕日で真っ赤に燃えるんだ。ほんの瞬間の光景だけど、その景色は、やっぱりすごい」


と、バズー。1日前に体験したばかりの、彼のカラパタール話を、日本語で聞けたことは、貴重だった。


癒しの人間になりたいんだ、だからこの巡礼は僕にとって必須で、この後ルンビニでヨガをマスターしたいんだけど・・・というバズーは、不思議なオーラをもった青年で、もう暖炉の火も消え、5Wの電球と、寒々しい部屋のなかのはずなのに、暖かかった。いいんだよ、そのままで、という暖かい空気を運んでくれた。


そして。

「カラパタールで石を拾ってきたかったのに、それどころじゃなかった」とつぶやいた私の一言を、彼は覚えていてくれた。翌日、ナムチェでまた偶然再会したとき、「エベレストの形」の、水晶の原石みたいな石を、カラパタールで僕が拾ったんだ、というその彼にとっても大切であろう石を、そっと握らせてくれたのだ。


***


ナムチェで1日待って帰ってきたメンバー達の、「やったよー!」という最高の顔。その顔を見た瞬間に嬉しくて、逆に、同部屋で1週間苦楽をともにしてきたダニエルは、私が元気で歩いていることが嬉しかったのだ、と、お互いに(10日間も風呂入ってないのに!)抱き合って、泣き合った。
ツアーだから、というか、一人じゃないから、味わえた瞬間で、自分がいけなくても、メンバーが代わりに登ってくれた、ということが、こんなに嬉しいことだと思わなかった。


***


高山病は、低地に住む人間にとっては、避けられないものかもしれない。私のスケジュールに、山を合わせようとしたことにムリがあったんだな。もっとゆっくりと日程をとって、山のスケジュールに、私があわせなくちゃいけない。


今すぐに、また来年行こうとは思わないけれど、いつか、きっと、リベンジ。
次は、ナムチェ/ゴーキョ/チョラパス/カラパタール/アイランドピークBC/ナムチェ の旅程(←もう決めてる)。